映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』-幸せを見つける天才-
この映画を見て、今まで私はずっと勘違いをしていたのだと気がついた。
本来ゴッホは最高に幸せな人だったのではないか。
彼の制作が波に乗り100枚を超える油彩を生み出した最後の2年間は特にだ。
少なくとも週に一度は、描きたくてどうしようもなくなるような感動する景色や瞬間に出会っているのである。
私たちは今、そんなに機会があるのだろうか。
確かにゴッホの人生はドラマを見ているような悲劇的な瞬間も多かったのだと思う。
画家になる前もそうだが、画家になってからも絵は売れず、望むような仲間もできず、耳を切り落とし、正常と狂気の間を行き来する。そして最後は拳銃で死を迎えるのである。
当時はゴッホ自身が何も語らなかったことから自殺とされたが、地元の子供たちの仕業かいたずらの末の誤砲ともいわれ、謎に包まれたままでもある。
どんな本や映画を見ても胸が締め付けられるような悲しみは切り離せない人物。それがゴッホであった。
今回の映画の中で映し出される映像は何度もゴッホの視点へと切り替わる。
まるで自分がゴッホになったかのように。
それは彼が見た景色という単純なものだけではない。
その景色の広がる瞬間の感情やゴッホの目を通した色彩、また不安定な気持ちの中で揺れ動く目の運びや滲みやトーン。それに狂気に襲われ曖昧な意識の中では目の前はいつも真っ暗になってしまう。
今までであれば悲しいストーリーに包まれるようなゴッホを俯瞰していることが多かった。
それが今回は、喜びと悲しみを急激に感じ、私自身、感情のコントロールが難しく思う。まるでゴッホの人生を体感するかのような体験であった。
ただだからこそゴッホは幸せだったのだと私は気がついたのだ。
美しいフランスの自然の中に見つける最高に幸せな瞬間をゴッホは自由に見つけることができたのだから。
きっとその喜びは特別な人にしか与えられない神様からの贈り物だったのだろう。
彼にしか見えない色彩で自然たちが動き回る美しい瞬間を捉え描く術を、ゴッホは持っている。
私は今きっと大きく損をしている。
ただただ流れていく日常を、ただただいつもの景色と思い何かを見つけようともしない。あんなにもゴッホが憧れた日本にいるにも関わらず、逆にフランスに憧れパリに恋焦がれさえしている。
ゴッホだったらと思う。
今私の目に映っている世界にどんな心揺さぶられる瞬間を見出し、捉えるのだろう。
彼は「幸せを見つける天才」である。
きっと思いもよらない瞬間が彼には美しく輝くように映るのだ。
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映画を観る前にゴッホの人生や、彼とテオの手紙のやり取りなどを知っておくことをお勧めしたい。
今作で描かれるのは晩年の2年間。ゴッホのストーリーも多くは語られない。
彼が手紙で語るその場面や出会う人々は、気がつかなければただのなんでもない一場面になってしまう。それは少しもったいないので。
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