《教会を知る Vol,4》ラピスラズリの星空

教会の天井に輝く真っ青な星空を見た事はあるだろうか。
見上げたその瞬間、その美しさに動けなくなるような、心洗われるあの感動は、時間が経っても色褪せず、目を瞑るだけでも蘇る。
本当になんて美しいのだろう。。
確かに真っ暗な中で見上げた夜空とそこに輝く星たちのその瞬間は、切り取って室内に持ち帰りたい思うくらい感動的だし、それを表現したことには大きく納得する。

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スクロヴェーニ礼拝堂の天井画

ただ私たち日本人がこの教会の星空に感動する想いと、西洋の人々がそれを見上げて抱く想いには大きな違いがある。
何しろここは教会堂である。意味もなくただただ美しいだけというのが、ありえないことを忘れてはいけない。
星空といえば、教会に通うものは誰もが共有する当たり前の意味があるのだ。

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真ん中にキリストと十字架が浮かぶ

それを理解するのには、この星空といつもセットの十字架かキリストが鍵になる。大抵どちらかが星空の真ん中に浮かび上がるので、見つけてみてほしい。

イエス・キリストの奇跡の1つに「変容」がある。聖書の中でも、姿形を変える奇跡をもって、人々に驚きとともに信仰を伝える場面が何度か登場する。
そのキリストが星に紛れ空に浮かび上がるということは、変容の奇跡を用い、十字架となり、星となって人々の前に姿を表す奇跡の瞬間を表すのである。
また空に浮かび上がるその時は、この世の終わりを告げられる「最後の審判」の時、そこにキリストが再臨しそのことを告げる瞬間でもあるのだ。

この空を見上げれば、キリストが再臨する奇跡に立ち会い、終末にも救いの手が差し伸べられることに安堵する。
それが西洋の人々のこの美しい青い天井への想いなのだ。

また青という色にはもう1つ、この教会を建てたものの財力を意味する重要な役割がある。
青という色は当時何よりも高価な素材であった。特にラピスラズリを用いたのであればそれはなおさら。
日本で金箔をふんだんに使用することにも似ているかもしれないが、画家たちの逸話を思えば、それとは比べものにならないくらい高価だったのだろう。(ミケランジェロは作品が未完となったし、フェルメールは家族を経済難へと追い込む)
この青で描くことで、豪華な宝石を身につけたように(実際に宝石なのだが)この教会の価値も上がり、周りにその名を轟かす。
お金があるのであれば使わない手はない。そんな作り手の思惑も隠されている色なのだ。

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サグラダファミリアは青空ではないが、星のように輝く陽光と十字架を見つけることができる

私たちがただただ美しいと思う真っ青な星空。
そこには教会を知らなければ理解できない意味が隠れている。
ただ正直なところ私は、なんて美しいのだろうとため息をつき感動するだけの教会見学でもいいと思っている。
教会に通わない私にとっては、終末の時に最後の審判も、最後の救いも現れることはない。
かつての人々が残した仕事に今も出会える奇跡に感動する方が健全な気がする。

でももし、この空の意味を知っているのであれば、それを見上げる日々そこに通う人々の眼差しが、何を願い何を感じとるのか想像することができる。
教会を訪れることは建築や美術品を愛でることだけが目的ではない。
そこには通う人々がいて、本来はその人たちのものなのである。
他宗教の私たちだからこそ、通う人々の想いを理解し、そのひと時を覗かせてもらっているという気持ちを忘れないことも重要なのだと思う。
だから教会を巡り続けるためにも、教会を知ることを続けたいと思うのだ。

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