2019年4月15日にノートルダム大聖堂で

今朝は妹からの「ノートルダムが燃えている」という連絡で目を覚ました。
最悪に衝撃的な事実に、悪夢が続いているだけであって欲しいと思った。
ただそれはまぎれもなく本当の出来事だった。
現地からあげられる映像や画像がより悲痛な想いを含んで、こんな遠い東京の地にまで受け止めなければいけない現実として渡ってくる。

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ユゴーによる『ノートル=ダム・ド・パリ』の序文には、なくなり忘れられるこの聖堂の歴史の切なさ、そしていつかこの聖堂すらなくなるのであろうとの結びの言葉が書かれている。
まさに今この時、その言葉の本当を見た気がした。
なくなるとは想像もしていなかったことが愚かなことだと思い知る。

何回も目の前を通りながらも、ノートルダムの上までは登ることはなかった。
今日も混んでいるからと、また次の機会にゆっくりこよう。
またいつか来ればいいと思っていた。
その『いつか』がもうなくなってしまった今になって、『いつか』という言葉の曖昧さには何の約束もないことを後悔した。

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焼け落ちてしまった木造天井部分

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ステンドグラスはどこまで被害を受けたのだろうか

今、パリの街は朝があけた頃。明るい中で受け止める初めての辛い現実。
ただそれは前に書いたヴェネチアの鐘楼の奇跡の話を思い出し、絶望だけではないのだと思った。
そこは全てが崩れ去ったにも関わらず、今は昔の姿を取り戻している。
ダヴィンチの『最後の晩餐』で有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会もそう。壁しか残らなかった悲劇の時代があった。

少しずつ知らされる現状の中で、重要文化財や美術品、また聖母マリア像と十字架も難を逃れたと聞いた。
何時間しか経っていない間でも、多額の寄付やルーヴル美術館やポンピドゥセンターからの結束の意思表明などがあがっている。
パリの人々の文化や信仰への強い想いがきっと、新しいノートルダムを作っていくのだろう。

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なくなってしまったバラ窓

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美術品はどこまで助けられたのだろうか

何年かかるかわからない。
私はまたシテ島にそびえ立つノートルダムを見ることができるのだろうか。
そう簡単なことでもないのだと思う。
ただこの再建に向ける1つの想いがどう動いていくのか、その歴史の中で生きていくことはできる。
改めてパリの歴史を勉強しながら、少しでも何かできることがあるなら、それのために動いてみたいと思う。

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