変わらないことへの憧れ

戦後初めてヨロッパ取材を実現した写真家、木村伊兵衛の写真展『パリ残像』になんとか駆け込みで行くことができた。

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1954年から55年に撮られたそのパリは、まるでこの間のように今も見られる姿と変わらず映る。
強いて言えば、ライカとカラーフィルムが作り出したテクスチャーと走る車と流行が時代を思わせるくらいで、引いて眺める街の風景はそのままである気がする。

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木村伊兵衛の写真にもエッフェル塔はよく映り込む

それは日本との大きな違いの1つだと思う。
一見では変わらぬ姿を続けるパリと大枠の姿を大きく変化させ続ける日本。
そこから細部に目をやれば、もちろんどちらも同じように急激な変化が見えてくるのだが、パリの街の形はその変化とは比例しない。
私は日本に育ったので、街が変わることに、そして壊しては新しくなることにきっと慣れすぎている。
日本ではしかたのないことでもあるし、それが急激な成長を可能にしたのだから悪いことだけでもない。

ただ何年も変わらず、何年も前の時代を生きていた人々と同じ景色にいられることには憧れも強くある。
当時描いたその絵も、綴った物語も、誰かの日記の1ページだって、その風景を重ねて眺めることを可能にするのだから。過去がリアルなものとしてすんなり馴染む。

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その最たる場所にヴェネツィアを思い出す。
そこは美術館に飾られる何百年も前のアカデミックな絵画と変わりがない。
写真の時代をも遡り絵の具で記録された街の景色は、その一瞬と同じ場所に立っていることに、時空が歪んだような戸惑いさえ感じた。
 

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ギャラリーラファイエットの屋上から眺めるパリの街

わたしの西洋好きは、過去と現在の想像の行き来が容易なことも理由にある。
あの作家たちが目にした景色にすぐに会いに行けるヨーロッパ。
ピカソが通ったあの上り坂も、モネとルノアールが互いを描きあったあの川も、ボナールが座り眺めたあの街角も、その場に立てば全てが実際にあったことなのだと理解する。
もしいつかタイムスリップができるとしたらそれは魅力的だが、私はそれは望まない。
過去の人々が残した記録と記憶の断片からその時代へと出かける想像の旅の方がきっと情緒的で面白く、それに向き合う今の人々の討論は人生最大の遊び道具だと思うから。

www.mitsukoshi.mistore.jp

会期は終了してしまったが、きっとまたすぐどこかで行われることを期待して。

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