アトリエ・ブランクーシという作品

ブランクーシを初めて気に留めて観たのは大学に入ってすぐの時だった。
大学内にある美術館の舞台裏、所蔵作品の中であまりににもシンプルな金色のつるんとした塊が光り輝いていた。なんでもないのに異様な存在感を放つこれはなんだろうとその時は心に引っかかってはいたが、特に深く心に留めることもなく学生生活は過ぎていった。
それから6年後パリを訪れた時、あの鮮やかで現代的なポンピドゥセンターの広場の端っこに、ぽつんと静かに佇む平屋の中でまたあのブランクーシと出会った。
これが私にとってブランクーシと正面から対峙し始めるきっかけとなった。

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そこはブランクーシのこだわりの空間、アトリエををそのまま動かしてきたギャラリーである。
自身のアトリエをフランスに寄贈すると決めた時、ブランクーシとフランス政府との間で交わされた『アトリエをそのままに再現する』という約束の通り、当時のアトリエの配置も拘りもそのままに今も見ることができる。

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彼の様にシンプルすぎる形態も、今であればそこに勝手に意味を見つけたり、タイトルひとつで何かを物語ったり、コンセプトと言われるような文章があれば人は夢中で美術鑑賞に入り込む。
ただブランクーシの若かった頃にはそれも難しい問題だった。
アメリカではこれは芸術作品として認められるのかという裁判まで起きている。
彼が作り出した芸術は一見あっけらかんと悩みのないすっきりとしたものに見えるが、当時の『美術』という考え方を変えるほどに人々がざわつく出来事だったのだ。

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そんな苦労もさっぱり見て取れないくらいに、このギャラリーはただただシンプルに美しい形の連続とその配置の絶妙なバランス感覚によって、心穏やかな空気を流し続ける。
彫像を飾る台座も作品とし、上と下の重要性を均等にした彼らしく、アトリエの空間すらも作品との上下関係を持たせなかった。
立体と空間の調和こそが彼の作品なのである。
美術館で見かける凛と佇む彫刻も間違いなくブランクーシだが、『調和』を重んじるこの空間は彼の最高傑作だと私は思う。
周りをも巻き込むような緊張感、計算し尽くされた関係性、物体の周りにこそ彼独特の拘りがみえてくる。
こんなにも贅沢な作品展示はないと思うのだが、入場料金が無料というのもすごい。

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ここでは、気持ちのいいパリの陽光の中で思い思いに佇む立体を眺めながら、止まったような時間を過ごす人々が多い。
中にはベンチに座ったままうたた寝をしている姿もある。
めまぐるしく活気付くパリの中心部でここだけはブランクーシがいたその日のままで、人々を出迎える。
少し手を休めて出かけたブランクーシの帰りを、そこに残る制作途中の道具たちと一緒に静かに待ち続けているような様子である。

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屋根では大勢の鳩が日向ぼっこをしている

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Atelier Brancusi
Place Georges Pompidou, 75004 Paris, フランス
開館時間:14:00-18:00  火曜休館
入場無料