「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」

日本での銅版画の位置付けは決して高いとは言えない。
作品としての値段で言えば、複製が可能な版画はもちろん世界中で低くはなるが、日本でのその歴史は比べ物にならないほど近年に入ってから確立されてきた。
と言いつつも、その後すぐにプリンティングの技術が発展し、版画とは絵画よりも安く印刷よりも高い微妙な位置付けになってしまった気もする。
今でも大学教育の中で『版画』というのは他の中に付属されることが多く、それ単体としての力はあまり強くない。
私が大学に勤めていた何年か前にも版画の工房は縮小され、銅版もリトグラフも姿を消していった。なかなか抗えなかったのを悔しく覚えている。

そんな日本の版画の世界にも見るべき作家は多くいる。
その一人が1900年代に活躍した駒井哲郎であり、現在横浜美術館でその作品多くを観ることができる。

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彼は銅版画の先駆者とも言われるだけあり、とにかく表現も知識の幅も広い。
それは研究者のようでもあり、到底一人の作家だけのものではないように感じた。
彼が56歳で亡くなっているとはつくづく思えない。 

特に晩年に行くほど技は熟練し、それを持って最高のものを更新し続けている印象であった。
こんなにも若く亡くなっていなかったら、一体どこまで上り詰めていたのだろう。

またこの展示は、彼に影響を与えた作家の作品も同じ空間で並ぶことも
見どころの1つである。
中でも私の気持ちを盛り上げたのはデューラーとクレーであった。
銅版画といえばこの2人無くしては始まらないほどのキーパーソンである。
(展示のサブタイトルにあるルドンもそうなのだが、今回は置いといて。。)

デューラーは銅版画表現の自他共に認める天才であった。
彼自身、自信家な性格も相まってその印象はより強いものとなって今に残るのだが、細密な線での描写力は今の時代にあっても飛び抜けていると思う。
版画以外でも彼の才能は開花しているが、版画の魅せる描いた痕跡から解くように見えてくる制作の技には何度でも釘付けになる。

それとは反対に版画では鳴かず飛ばずだったのがクレーである。
現在の日本での知名度であれば反対のようにも感じるが、クレーの名が知れるようになったのは色彩を知ってからである。
ただ売れなかった時代の版画作品はクレーの本質でもある。
人とは違ったそのセンスも、時代を感じさせない劣化のない感覚も足を止めざるを得ない光り輝く魅力がある。

駒井とこの二人には版画以外にも共通点がある。
クレーはチュニジアを旅し色彩と出会い、デューラーはイタリアを旅しその影響を生かし続けた。
そして駒井はフランスを旅して版画世界の大きな壁を見た。
それを乗り越え、より多くを吸収する力を持って、今日本に彼の作品がある。
それぞれ全く違う人生を生きただろうが、彼らは間違いなく旅したことで作品も人生も変わった。
旅は時として本当に大きな魔力になる。

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版画の展覧会は絵画や工芸品ほど人気の出るものでもない。
だからゆっくりと贅沢な鑑賞ができることは大変嬉しいのだが、今回はそれを諦めてでも多くの人に見てほしいものだと感じた。
複製品のため絵画とは違い値段も安い。
有名作家や過去の偉大な作家のものですら買えない値段ではないこともある。
昔祖父がヨーロッパでゴヤの銅版画を購入してきたことがあるが、ヨーロッパの古書店を覗けば宝探しのように見つけることもある。
最近はマティスリトグラフをお土産に頂いたが、ヨーロッパでは日本で感じるよりももっと身近に、生活に溶け込みやすい作品として版画を楽しんでいる。
私たちの暮らしと美術がもっと無理なく近づくために、版画は良いきっかけ作りをしてくれる。
yokohama.art.museum