年の始まりに

毎年の年賀状には干支を入れるというのが自分のルールなのだが、今年はなかなかに悩んでしまった。
中国から来ている干支の文化だが、特に中国本来の意味の中で表現しようということでもない。ただ何かしらの意味のある願いが込められたらと思って贈るようにしている。
結局いつも西洋思想の中に落ち着くことは多いが、今回はそこで躓いてしまった。

ひとつに西洋の話や謂れの中でイノシシの良い表現が思いつかなかった。
たしかに出てこないわけではない。ギリシャ神話の中ではヘラクレスにより生け捕りにされたり、アドニスの死の原因ともなる。古くから捧げものとしてもよく表現はされるし、狩の象徴として男性的イメージでも登場する。
ただいつも彼らは特にいい意味では描かれない。何だかこれといった素敵な存在感がないのだ。

そこで一度中国に戻ってみようと思ったのだが、そこでも躓いてしまった。
そもそも中国では干支はイノシシではない。豚である。それも飼いならされた家畜の豚のことを指すのだ。
当時の日本には家畜の豚など存在せず、1番似ていたのが山を駆け回るイノシシだっただけである。そこに重要な意味が隠されてるわけもない。ましてや威勢のいいイノシシと人に飼いならされた豚の差は大きすぎる気もする。

そんなこんなで頭の中でイノシシを連れて世界中を行ったり来たりしていたのだが、1度日本に帰ってきた時に気がついた。
今では畑や民家を荒らす困ったやつというレッテルがお決まりで考えることもしていなかったが、土偶のイノシシがいるではないかと。
そうだ。畑を荒らし始める前、彼らは日本で豊穣の象徴であり、実りの大きいいことを彼らの形を借りて願っていたのだ。意外と近くに良きイノシシがいたのである。
そう気付くと今年はなんて縁起のいい年なのだろうと嬉しくもなる。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190108135704j:plain

ということで、最終的には「豊穣」をもたらすイノシシと「豊穣」を溜め込むザクロ柄の壺の「豊穣尽くし」で年賀状を飾ることにした。
ザクロも西洋では古くから豊穣を表す。多くの実を含むふっくらとしたその果実は縁起物として長く愛されている。
実り多きことを求めるのはどこの国でも同じ想いであり、時代が変わってもその願いは変わらない。
日本の豊穣と西洋の豊穣。この共演でより広く実りの恩恵が伝わっていくといいなと思う。
今年が誰にとっても豊穣の1年となることに願いを込めて。