長老時計が眺め続けたパリの姿

シテ島の入り口、橋を渡りきったところに輝く大きな時計。
何者かわからずとも、その存在感に多くの観光客がカメラを向けるのを見かける。
特にこのあたりは隣にサント・シャペル、もう少し歩くとノートルダム大聖堂、土日には花や小鳥のマーケットで賑わう観光の聖地のよう場所である。
これぞパリを探す人々がそのシーンをいかに切り取るためには、シテ島に踏み入って最初に出会うこの立派な時計を逃すはずがない。

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そしてまさにそのパリらしさにふさわしい歴史も持ち合わせている。
姿形がきらびやかながら、経歴もまた美談として輝いているのだ。

旧王宮パレ=ロワイヤルに設置されたそれは、1371年に当時の国王シャルル5世から市民たちに贈られたパリで初めての公共時計なのである。
それまでは日時計が当たり前のパリの街で、毎日変わることなく誰でも正確な時間を知ることを可能にした。毎時そして15分ごとに鐘もならし、遠くにいても時間を把握することもできるようになった。
人によってそれぞれだった時間は公共のものとなったのだ。とにかく町全体の雰囲気が変わる大変な出来事である。

左右に立つ像は寓意で、左は法で右は正義を表している。
日本でも弁護士バッチに扱われる天秤だが、西洋でも同じで、善悪を量る正義の象徴としてよく擬人像が持っている。
左側の石板のようなものも、書物などと同じく知や決まりごとの象徴としてよく見られる。
市民に向けた健全で明るい王宮のイメージとしては大変分かりやすい仕上がりである。

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牢獄時の兵士の食堂

ただ裏腹にそれも長くは続かなかった。シャルル5世がここを離れた後、議会所、裁判所、牢獄へとこの場所は姿を変えていく。
誰もが知るマリーアントアネットの最後もこの牢獄で迎えることとなるのだ。なかなかのいわくつきの場所でもある。

ただそんな中この時計だけは輝きを忘れなかった。
修復や補修を経て1371年当時のままの姿を今まで保ち続けたのである。
きっとこの時計は市民の喜びから悪意までいろんな感情を感じ続けたのであろう。
美しい外見からは想像もできない歴史の闇の中で。

もちろん今はこの場所もコンシェルジュリーと呼ばれ、マリーアントワネットの牢獄も見られる、人気の観光スポットの一つである。あまり混んでいないが見所が多いので時間に余裕を持って見にいくことをおすすめしたい。

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Conciergerie コンシェルジュリー
2 Boulevard du Palais, 75001 Paris, フランス

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