平面と空間を行き来する -サヴォア邸の不思議-

パリに何度も行きたくなる理由の1つ、イル・ド・フランス。
市内から少し出かけたあたり、パリの周りはまた見るべきものに囲まれている。
その中に、車や電車で20分くらいのところ、ル・コルビュジエの名作サヴォア邸がある。
日本でも上野にある西洋美術館本館を設計し、世界遺産に認定されたことで人気も知名度も高い建築家でもある彼の波に乗り出した頃の作品である。

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サヴォア邸はその名の通り、サヴォア家の週末住宅として設計された。
サヴォア夫人の細かすぎる注文の中 ( 手紙の中でコンセントの位置や種類まで指定している )、ただ最高の環境と予算を持ってコルビュジエが挑んだ建築である。
また彼の提唱する「近代建築の5原則」( 1.ピロティー、2.屋上庭園、3.自由な立面、4.水平連続窓、5.自由な平面 ) を初めて全て実現し叶えたのも、ここサヴォア邸。
コルビュジエにとっても強い想いの残る作品なのだ。

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私がここを訪れた時、きっとここには何時間もいたと思う。
そんなに大きいわけでもない建物なのだが、不思議と惑わされる方向感覚に同じところをぐるぐると歩き回った覚えがある。
コルビュジエの作品は記録も写真も多くある。ここに来る旅の前、気持ちを高めながらサヴォア邸の写真を何度も眺めた。
それはいい意味でとても平面的で、色面分割されたグラフィックの様に感じていた。
外観の四角いデザインからもシンプルな構成を想像していたのだが、体感は全く違く複雑なものだったことは驚きの1つだった。
少し足を進める度に切り取られる景色も、壁や柱の形も、先につながる新たな空間への期待も驚くほど急激に変化する。
写真からは全く読み取れなかったこの不思議な感覚は、いつでも鮮明に思い出すことができるほど印象的であった。

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それと同時にどこを切り取っても絵になるこの建築空間は、誰もが写真を撮ることに夢中になる。
周りを見れば皆、カメラを構え何度も何度もシャッタを押している。
それは観光地でみられる記念撮影とは違い、ただ純粋に自分の良い構図を探し楽しむ人が多いことにこの空間の芸術性の高さを改めて感じた。
写真で表現できなであろう体感の中で、矛盾も少し感じながら、カメラを通して切られる平面的な魅力にも夢中になっているのだから、本当に不思議な建築物である。
平面と空間、フレーミングと現実を行き来しながら、何が本当の感覚なのかがわからなくなるのも、なんだか夢の様で心地がいい。

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とにかくサヴォア邸へ行きたいと少しでも思えてもらえたら嬉しい。
と言いながら、私もまた行きたい。と書きながらに想像を膨らましている。
今度は違うカメラを持って、スケッチブックもいいかもしれない。あの芸術作品と再び向き合うその機会が楽しみである。

コルビュジエの話はいくらでも尽きないのだが、来年2月に行われる展覧会に期待しながら、またその時に書けたらと思う。

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変わらないことへの憧れ

戦後初めてヨロッパ取材を実現した写真家、木村伊兵衛の写真展『パリ残像』になんとか駆け込みで行くことができた。

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1954年から55年に撮られたそのパリは、まるでこの間のように今も見られる姿と変わらず映る。
強いて言えば、ライカとカラーフィルムが作り出したテクスチャーと走る車と流行が時代を思わせるくらいで、引いて眺める街の風景はそのままである気がする。

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木村伊兵衛の写真にもエッフェル塔はよく映り込む

それは日本との大きな違いの1つだと思う。
一見では変わらぬ姿を続けるパリと大枠の姿を大きく変化させ続ける日本。
そこから細部に目をやれば、もちろんどちらも同じように急激な変化が見えてくるのだが、パリの街の形はその変化とは比例しない。
私は日本に育ったので、街が変わることに、そして壊しては新しくなることにきっと慣れすぎている。
日本ではしかたのないことでもあるし、それが急激な成長を可能にしたのだから悪いことだけでもない。

ただ何年も変わらず、何年も前の時代を生きていた人々と同じ景色にいられることには憧れも強くある。
当時描いたその絵も、綴った物語も、誰かの日記の1ページだって、その風景を重ねて眺めることを可能にするのだから。過去がリアルなものとしてすんなり馴染む。

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その最たる場所にヴェネツィアを思い出す。
そこは美術館に飾られる何百年も前のアカデミックな絵画と変わりがない。
写真の時代をも遡り絵の具で記録された街の景色は、その一瞬と同じ場所に立っていることに、時空が歪んだような戸惑いさえ感じた。
 

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ギャラリーラファイエットの屋上から眺めるパリの街

わたしの西洋好きは、過去と現在の想像の行き来が容易なことも理由にある。
あの作家たちが目にした景色にすぐに会いに行けるヨーロッパ。
ピカソが通ったあの上り坂も、モネとルノアールが互いを描きあったあの川も、ボナールが座り眺めたあの街角も、その場に立てば全てが実際にあったことなのだと理解する。
もしいつかタイムスリップができるとしたらそれは魅力的だが、私はそれは望まない。
過去の人々が残した記録と記憶の断片からその時代へと出かける想像の旅の方がきっと情緒的で面白く、それに向き合う今の人々の討論は人生最大の遊び道具だと思うから。

www.mitsukoshi.mistore.jp

会期は終了してしまったが、きっとまたすぐどこかで行われることを期待して。

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シャルトルブルーよりも美しいこと

シャルトルブルーが美しい暗がりの中で浮かび上がる、そんな神秘的なステンドグラス。
ただのブルーではなく、長い時間をかけて空気中の微生物を身に纏いながら深みを増していった、誰もが見惚れるシャルトルブルー。
ロダンをも魅了し幾度も通わせた大聖堂だ。

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私の祖父は民芸運動の時代に型染めの作家をしていたのだが、よく西洋のモチーフを掘り描くことに没頭していた、大の西洋フリークでもある。
祖父の絶対見るべきとの遺言もあって、私は最高の期待を持ってこのシャルトル大聖堂を訪れた。

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2016年4月、足を踏み入れたそこは、はっきり言ってしまえば、チグハグという言葉がはっきりと浮かぶものだった。
もちろん歴史的にもロマネスクとゴシックが混ざり合う芸術的コントラストの美しさで有名ではあるのだが、それとは違う暗闇のような重い空間と真新しい輝くような白い空間が混在した不思議な世界になっていた。
入った瞬間シャルトルブルーに魅せられるのだろうと想像していた私にとってそれは衝撃だった。
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その時は建て直しの最中であったのだろう。
線を引いたように古びた黒色の石と新しすぎるほどの白色の石があちこちでぶつかり合っている。
繊細な美として楽しむシャルトルブルーにはあまりにも周りが騒がしかった。

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その感想を抱いてからちゃんと考え始めるまでに少し時間がかかったと思う。
朝と夕方に二度訪れ、眺めるうちにふと思った。
そういえば教会も『用の美』である。通い使う人がいて初めてその存在となる。
朝通い、昼通い、夕にも通い、地元の人々が自然と足を向け祈る大切な場である。
つい美術品として楽しんでいたが、そんなことはどうでもいいのだ。
明日も来年もその先も、変わらずお祈りができるこの美しい空間をこの地の人々は守っていかなければいけない。
以前、改修された平等院鳳凰堂を拝観した時にも、新しすぎる朱の輝きを残念に感じたことがある。
つい長い年月の生み出したワビや味のあるものに感動を覚えがちだが、長く愛され使われるからこそこの先に絶えさせることのないよう修理が必要なのだ。
直すという行為は守り続けることの証であり、そこには感動すべき人の心も混ざり合う。

この日のシャルトル大聖堂への訪問は、私の教会巡りの中でも忘れてはいけないものとなった。
本来の教会としての生きていく姿、その途中に居合わせたことを強く実感する。
ただの美術品でも遺跡でもない、人の集う場として働き続ける偉大さ。

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夕刻のやわからかな光の中、暗がりの石と白く輝く石が朝とは違う見え方で混ざり合っていく。
パキッとしたラインから揺れるラインへと変わり、お互いの色味が寄り添っていく。
これからまた何年もかけてこの教会はそれを大切に想う人とともに、新しい色を作り上げていく。
次に来るときにはどんな景色に変わるのか、本当に楽しみである。

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Cathédrale Notre-Dame de Chartres
シャルトル大聖堂

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間違いのないパリのバゲット

パリ、モンマルトルの丘を下ったところABBESSES(アベス)駅の近くにあるPAIN PAIN。
2012年にパリの最優秀バゲット賞を取り、一年間大統領官邸にも納めていた職人が2015年に新しく開いたお店。
パリでパンを食べるときにはぜひおすすめしたい場所である。

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鮮やかな青いファサードが目印

ヨーロッパのパン屋では日本の購入方法とは違い、カウンター越しにパンの名前を言って注文するのだが、いつもこれに苦戦する、。
特に地元の常連さんが多いところでは、店員さんを捕まえるのもやっとだし、読めないフランス語のパン名との戦いである。
もちろんここでも。。(何よりパンの種類も多く、小さなケーキもずらっと並ぶ)
食べたいものを絞るのも難しい上、お客さんが次から次へとやってくる人気店。気がついたらレジの前に流されていたと思う。
名前がわかったものと、その場から指させるものをなんとか頼み、やっとの思いで店を出た。とにかくバゲットを買うことができたのでよかったとホッとする。

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西洋ではパンはとても重要な意味を持つ。
最も有名なのは、最後の晩餐でキリストが宣言した、赤ワインはキリストの血でありパンはキリストの体であるということ。
この2つを教会に集まり皆で食す聖餐式 (ミサ) は昔から変わることなく続き、宗教の面でも生活の面でも欠かすことができない。

また絵画の中にも頻出するパンから読み解けることもある。
小麦で作られた白いパンであれば領主や貴族を表し、ライ麦や大麦などの黒いものは庶民を表す。そこに描かれるものの身分を表現するモチーフともなるのだ。

 

日本人にとっての白米のように、古くから欠かすことのできない西洋のパン。
その本場で食べるのだから美味しくないわけがない。
特に最優秀賞のお墨付きのバゲット。間違いのない香りがした。

フランスに行きたくなった時は、あの少し緑がかったバゲットが恋しくなり日本でも探して歩く。
そして夜には赤ワインと一緒に。
教会の景色を想像しながら、旅する気分を思い出す。

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 PAIN PAIN (パン パン)

営業時間:火〜土 7:00-20:00 日 7:30-19:30
定休日:月曜日
88 Rue des Martyrs, 75018 Paris, フランス

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PAIN PAIN  web site
www.pain-pain.fr

長老時計が眺め続けたパリの姿

シテ島の入り口、橋を渡りきったところに輝く大きな時計。
何者かわからずとも、その存在感に多くの観光客がカメラを向けるのを見かける。
特にこのあたりは隣にサント・シャペル、もう少し歩くとノートルダム大聖堂、土日には花や小鳥のマーケットで賑わう観光の聖地のよう場所である。
これぞパリを探す人々がそのシーンをいかに切り取るためには、シテ島に踏み入って最初に出会うこの立派な時計を逃すはずがない。

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そしてまさにそのパリらしさにふさわしい歴史も持ち合わせている。
姿形がきらびやかながら、経歴もまた美談として輝いているのだ。

旧王宮パレ=ロワイヤルに設置されたそれは、1371年に当時の国王シャルル5世から市民たちに贈られたパリで初めての公共時計なのである。
それまでは日時計が当たり前のパリの街で、毎日変わることなく誰でも正確な時間を知ることを可能にした。毎時そして15分ごとに鐘もならし、遠くにいても時間を把握することもできるようになった。
人によってそれぞれだった時間は公共のものとなったのだ。とにかく町全体の雰囲気が変わる大変な出来事である。

左右に立つ像は寓意で、左は法で右は正義を表している。
日本でも弁護士バッチに扱われる天秤だが、西洋でも同じで、善悪を量る正義の象徴としてよく擬人像が持っている。
左側の石板のようなものも、書物などと同じく知や決まりごとの象徴としてよく見られる。
市民に向けた健全で明るい王宮のイメージとしては大変分かりやすい仕上がりである。

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牢獄時の兵士の食堂

ただ裏腹にそれも長くは続かなかった。シャルル5世がここを離れた後、議会所、裁判所、牢獄へとこの場所は姿を変えていく。
誰もが知るマリーアントアネットの最後もこの牢獄で迎えることとなるのだ。なかなかのいわくつきの場所でもある。

ただそんな中この時計だけは輝きを忘れなかった。
修復や補修を経て1371年当時のままの姿を今まで保ち続けたのである。
きっとこの時計は市民の喜びから悪意までいろんな感情を感じ続けたのであろう。
美しい外見からは想像もできない歴史の闇の中で。

もちろん今はこの場所もコンシェルジュリーと呼ばれ、マリーアントワネットの牢獄も見られる、人気の観光スポットの一つである。あまり混んでいないが見所が多いので時間に余裕を持って見にいくことをおすすめしたい。

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Conciergerie コンシェルジュリー
2 Boulevard du Palais, 75001 Paris, フランス

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黒くされたカラス

 

現代の日本では嫌われ者のカラスだが、そんなカラスにも綺麗な逸話がいくつか存在する。

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都会の中とは違った綺麗な鳥に見える

一番有名なのはノアの箱舟に登場する鴉だと思う。
ノアの大洪水の際、まず最初に放たれたのが鴉であり、吉凶を占うための鳥として希望の擬人像の持物ともなった。

また聖人伝にもよく伝えられる。
鴉が修行する聖人の元に毎日パンを運んでくるという話である。
ローマの時代にキリスト迫害を逃れ、エジプトの砂漠で修行を続ける隠修士パウルスには40年もの間毎日パンを届けていたと伝えられている。
なんとも健気な話である。

この話だけだと今嫌われてることが不思議なのだが、伝えの中に少しだけ予兆が存在する。
色々な話の結末で本来は白であった体を黒に変えられてしまうという罰を受けているのだ。
黒というのは昔から邪悪で闇や夜、光の当たらないものをイメージさせる。
その黒に変えられてしまったのだから嫌われ者の仲間入りになる可能性は高い。

その理由はこうである。
ノアの箱舟では放った鴉はすぐに戻ってこなかった。そこで鳩を飛ばし、鳩は自由の象徴になるのだが、鴉はこの罰として黒くされたと云われがある。
またギリシャ神話ではアポロンに愛するコロニスの不貞を鴉が伝えるのだが、結果自身の子を身ごもっているとも知らずコロニスを射殺してしまう。その密告の代償として純白から黒に変えられたとも云われる。

なんだか大きすぎる代償な気もするが、イヴをたぶらかした蛇が足を取られ一生地を這う罰を与えられたのを考えれば、天を飛び太陽神に結びつきのある鳥でいられたことは、少しはましな気がする。

 

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ルーブル美術館内の庭でパリの空を見上げるカラス。

日本で生活しているとゴミを漁り、人間に追い払われるカラスの姿をよく目にするのだが、ヨーロッパではあまりその姿を目にしない。
それに集団ではなく一人でポツンとしているのをよく見かける。

もしかしたら逸話の多く残る西洋のカラスはその空を見上げながら、何故黒くさせられたのかと想いに耽っているのかもしれない。
なんだかいつものカラスが嘘のような可愛らしい光景である。

パリの香水博物館、早すぎる閉館

先日、パリの香水博物館、ル・グラン・ミュゼ・デュ・パルファン(Le Grand Musee du Parfum)の突然の閉館の知らせに驚いた。
たった5年の間だったのが本当になくなるのを残念に思う、綺麗な展示をしていた。

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特にミュージアム好きとしては、いろいろのな人の興味を引くことのできる橋渡し的な施設はとても貴重だと思っている。
美術館に興味のなかった人の、もしかしたら初めての美術館体験になるかもしれない可能性を多く秘めているから。

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この博物館では香水の歴史や背景、製造作業のイメージ、香りの体験、香りの受け取り方などいろいろな角度から、体験を多く取り込んで展示を構成していた。
香水にあまり興味のない私でも十分に楽しめるものだった。

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ここ展示は文字も綺麗で、文末は字間が広がり香りが漂うようなデザイン

そういえば、香水といえばダリのデザインした、ダリ パルファンドトワレが思い浮かぶ。
アフロディーテ (ヴィーナス) の唇と鼻をイメージしたボトルで、さすがダリらしい奇抜でユーモラスな形をしている。
これを見ていると他の芸術家たちがこぞって香水瓶をデザインしていたら、面白い芸術品が増えていただろうなと想像がつきない。

とりあえず今日は悲しい知らせだったので、素敵な記憶として今記録しておこうと思った。