多すぎたヴェネツィアのゴンドラ

ヴェネツィアを好きになりすぎた理由の1つに、車がいないという感動の体験がある。
そして改めて気がついたのだが、車が存在しない空間というのはその時が初体験であった。
もちろん車もほとんど通ることのない静かな場所や、細すぎて侵入できないような歩道にかこまれた場所というのはある。
でも今までに車という存在自体がありえない、ましてや自転車という概念すらないような街に来たことはあっただろうか。
何度思い返してみても初めての体験である。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20191217163645j:image

ただそんな優雅でのんびりとした空間にも交通問題に悩まされる時代もあった。
それは1500年代のヴェネツィア
街は自家用ゴンドラを所持する人々で溢れ、もっとも多い時で1万艘のゴンドラがヴェネツィアの運河を埋め尽くしていたらしい。
それも今の黒く細長いおきまりの形ではなく、競うように装飾を施した、大きさも形もバラバラのゴンドラたちがである。
今が400艘ほどと言われているのだから、約25倍。比較して想像したらそれは相当な交通渋滞であったことは間違いない。
逆にどうやって進んでいたのかが不思議なくらいである。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20191223100739j:image

それらの政策費用の無駄遣いも含め、もちろんこれは街の大きな問題となり、1562年には政府が法令を定め、今の黒一色で先の尖った古来のゴンドラのみをヴェネツィアのゴンドラとした。
現在はこの法令自体は無効となっているようだが、冷静に街の景観や住みやすさのことを考えれば、ゴンドラが黒であり、あの形であることは今後も変わることはないのであろう。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20191223100741j:plain

今ではゴンドラのそのほとんどは、私たちのうような旅行者のための観光用として運用されている。
安らぎや美を求めヴェネツィアを訪れたものに至福の時間を演出してくれるひとつとして。 

実を言うと、こんなにもゴンドラ好きのように綴りながら、私はゴンドラに乗ったことがない 。理由は単純に少し高すぎる値段とTHE観光への躊躇から。
でもまた次の機会があるならば。
せっかく私たち観光客のために続けてくれているのだから、
この美しい伝統に乗って、過去の姿を想像するのも悪くないな。。と、今思い始めているところである。
 

展覧会『マルク・シャガール — 夢を綴る』-美術館の普通を見る-

とても良い展覧会を観た。
と言いながら11月4日までで終了間近なのだから、オススメする者としては最悪であるが。。。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20191102195331j:image

日本の美術館でも扱うところの多いシャガールの絵画や版画や印刷物。
今回観たのは、銀座のポーラミュージアムアネックスで行われている、ポーラ銀座ビルの10周年をお祝いする記念展覧会『マルク・シャガール — 夢を綴る』。POLA自慢のコレクションで魅せる展覧会である。

何が良かったのかというと、シャガールのこの作品は見るべきであるとかそういうことではなく、無料なことである。
ただケチでお金を払わないことがいいと言っているわけではない。
感覚として美術館の普通を体験したと私は思ったのだ。

海外では美術館やギャラリーのコレクションは自由に見られることが多い。
市や個人が無料で開放し誰でもが日常の中で美に触れる機会がある。
ただ日本の場合コレクションは有料である。
または企画展にお金を払い、そのついでにコレクション観覧チケットが付いてくることもある。
私はこの日本の当たり前が好きではないのだ。
コレクションはおまけのようでもあり、あまり興味を持たれない。

『マルク・シャガール — 夢を綴る』ではその日本で美術を観る概念を壊された気がした。
正直入るまではここは場所も小さいし、無料の展示でとあまり期待はしていなかった。
が、入ってみればそこは小さな美術館になっていた。
挨拶文もリーフレットも目録も、美術館で体験できることがミニマムな空間に詰め込まれているのだ。それに数点ながらも時代の違う油画の実物、1つの物語としてのリトグラフの展示、日本でよく見られる『関連作品』という逃げがないのもいい。
仕事の帰りにさっと寄れる、規模と時間。
ヨーロッパでシャガール作品を見ているような不思議な感覚に陥った。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20191103140625j:plain

流石に写真は撮れなかったので、パリのポンピドゥーセンターのコレクションを

もし美術が遠いいと思っている人がいるのなら、ぜひ訪れてみて欲しい。
会期があと少しなのが本当に勿体無いが、何より美術館と気負わず銀座を散歩するついでにふらっと寄れる。
絵画の見方なんて関係はない。
エレベーターで上がり、扉が開けばそこはパリのように、優しいシャガールが待っている。

www.po-holdings.co.jp



《教会を知る Vol,4》ラピスラズリの星空

教会の天井に輝く真っ青な星空を見た事はあるだろうか。
見上げたその瞬間、その美しさに動けなくなるような、心洗われるあの感動は、時間が経っても色褪せず、目を瞑るだけでも蘇る。
本当になんて美しいのだろう。。
確かに真っ暗な中で見上げた夜空とそこに輝く星たちのその瞬間は、切り取って室内に持ち帰りたい思うくらい感動的だし、それを表現したことには大きく納得する。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20191010074718j:plain

スクロヴェーニ礼拝堂の天井画

ただ私たち日本人がこの教会の星空に感動する想いと、西洋の人々がそれを見上げて抱く想いには大きな違いがある。
何しろここは教会堂である。意味もなくただただ美しいだけというのが、ありえないことを忘れてはいけない。
星空といえば、教会に通うものは誰もが共有する当たり前の意味があるのだ。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20191010074722j:plain

真ん中にキリストと十字架が浮かぶ

それを理解するのには、この星空といつもセットの十字架かキリストが鍵になる。大抵どちらかが星空の真ん中に浮かび上がるので、見つけてみてほしい。

イエス・キリストの奇跡の1つに「変容」がある。聖書の中でも、姿形を変える奇跡をもって、人々に驚きとともに信仰を伝える場面が何度か登場する。
そのキリストが星に紛れ空に浮かび上がるということは、変容の奇跡を用い、十字架となり、星となって人々の前に姿を表す奇跡の瞬間を表すのである。
また空に浮かび上がるその時は、この世の終わりを告げられる「最後の審判」の時、そこにキリストが再臨しそのことを告げる瞬間でもあるのだ。

この空を見上げれば、キリストが再臨する奇跡に立ち会い、終末にも救いの手が差し伸べられることに安堵する。
それが西洋の人々のこの美しい青い天井への想いなのだ。

また青という色にはもう1つ、この教会を建てたものの財力を意味する重要な役割がある。
青という色は当時何よりも高価な素材であった。特にラピスラズリを用いたのであればそれはなおさら。
日本で金箔をふんだんに使用することにも似ているかもしれないが、画家たちの逸話を思えば、それとは比べものにならないくらい高価だったのだろう。(ミケランジェロは作品が未完となったし、フェルメールは家族を経済難へと追い込む)
この青で描くことで、豪華な宝石を身につけたように(実際に宝石なのだが)この教会の価値も上がり、周りにその名を轟かす。
お金があるのであれば使わない手はない。そんな作り手の思惑も隠されている色なのだ。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20191010074756j:plain

サグラダファミリアは青空ではないが、星のように輝く陽光と十字架を見つけることができる

私たちがただただ美しいと思う真っ青な星空。
そこには教会を知らなければ理解できない意味が隠れている。
ただ正直なところ私は、なんて美しいのだろうとため息をつき感動するだけの教会見学でもいいと思っている。
教会に通わない私にとっては、終末の時に最後の審判も、最後の救いも現れることはない。
かつての人々が残した仕事に今も出会える奇跡に感動する方が健全な気がする。

でももし、この空の意味を知っているのであれば、それを見上げる日々そこに通う人々の眼差しが、何を願い何を感じとるのか想像することができる。
教会を訪れることは建築や美術品を愛でることだけが目的ではない。
そこには通う人々がいて、本来はその人たちのものなのである。
他宗教の私たちだからこそ、通う人々の想いを理解し、そのひと時を覗かせてもらっているという気持ちを忘れないことも重要なのだと思う。
だから教会を巡り続けるためにも、教会を知ることを続けたいと思うのだ。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20191010105412j:image

 

 

www.cojitrip.com

www.cojitrip.com

www.cojitrip.com

パリで行きたい凱旋門

パリに来て、『凱旋門へ!』
というとシャルル・ド・ゴール広場のそれが真っ先に思い浮かぶのではないか。
まさにパリのシンボルのような存在感で、まっすぐ伸びるシャンゼリゼ通りのその先に堂々と聳える凱旋門
巨大な門から放射状に伸びる何本もの通りや、その周りを取り囲むようにぐるぐると走る車も印象的で、なんのルールもなさそうなこの道路は日本人からしたら少し異様な光景でもある。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190917111102j:image

ただ、偏に凱旋門といっても、この一つを指すわけではない。
この有名な門にもエトワール凱旋門という名前があるように、パリには他にもいくつかの凱旋門が存在するので、ここで少し紹介したいと思う。

1.サン・ドニ凱旋門サン・マルタン凱旋門

1600年代に作られたいわゆる初期の凱旋門
凱旋門の役割を問われれば政治的、軍事的祝い事の際に、パレードがそこを通り抜けるイメージと答える人が多いかもしれない。が、本来の凱旋門といえば、軍事的事柄としての変わりはないが、お祝いではなくお祓いの意味をなしていた。
戦場で穢れた戦士がここを通ることで、そのまとわりつく負の気配を清めたのである。
見た目は違っても、日本にも通づる宗教観に少し親近感を覚える本来の門。
その意味を背負った凱旋門で今現存するのがこの2つである。

2.カルーゼル凱旋門

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190917111124j:plain

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190917111128j:plain

ルーブル美術館からも眺められるこじんまりとしたピンク色の可愛らしい凱旋門
一見その姿から庭園用に設置した優雅さを演出する装飾のためだけの門のように見える。
ただ意外なことにこちらが、今も有名なあのエトワール凱旋門の元祖である。
ナポレオンが勝利を記念して建設を命じたのだが、そのサイズの小ささに納得ができなかったらしい。そこで2つ目の凱旋門の制作を命じ、こちらはなにもなかったことのようにその役目を担うことはなかった。
確かにあまり威厳があるとは言えないかもしれない。
ただ、当時のパリの華やかで装飾的な美しい印象は今の旅行ブーム、ルーブル宮の観光には一躍かっている。

3.エトワール凱旋門

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190917111142j:plain

そしてこちらが日本では誰もが知る、シャンゼリゼ通りにあるエトワール凱旋門
前記したように作り直しの2作目であり、完成までは30年もの時間がかかった。
悲しいことにやっと完成をみた1836年、それはナポレオンが亡くなった後のこと。完成した姿を見ることのできなかったナポレオンが門をくぐり凱旋の時をむかえたのは死後、1840年のことだった。
本来であれば勝利の誇りと自信を身に纏い、大歓声の中であの巨大な門をくぐるはずだったのだろう。
切なくも完成した門への感想を彼から聞くことは叶わなかったが、最大名所の1つにもなった今の時代のこの門を眺めているのであれば、きっと間違いなくご満悦なことに間違いはないないだろう。 

f:id:shima-ad-studio-cojima:20181107005251j:plain

エトワールの凱旋門のように展望台があってそれに登ることが観光の目的なのも、望む絶景を思えばいいものである。
ただ門のくぐるという本来の目的で言えば、その門のストーリーを知ることも重要で必要なことだと私は思う。
その上でパリに点在する門たちをその歴史に沿って巡ってみるのはどうだろうか。
いつもと違ったパリの側面に出会えるであろう、一押しの観光プランになりそうだ。

・・・・・・

そして最後に少しおまけの話だが、私には次行く時に真っ先に訪れたい門がある。
パリの街で門の概念を作り上げた、最初の門といってもいい場所である。
門というのは外と内を分けるものであり、家にしても公共施設にしても、この意味のものが多いだろう。
以前のパリでは、美しいパリとその外は城壁で分けられ、その行き来をする出入口として37個の門が存在した。今では4カ所の跡地が残るのみであるが、これらはパリという魅力的な空間をはっきりと認識させた立役者なのだ。

私の凱旋門巡りのプランはこうである。
今は簡単に越えられるそのラインの間で、パリに憧れる気持ちを湧きたてながら、税関職員であったルソーの面影に挨拶をする。
そしてパリ始まりの入り口からパリの街に入り、時代の流れを潜るように凱旋門を巡って行く。
最後は夕焼けで金色に染まるアンヴァリッドのドーム教会のナポレオンのお墓へ。
エトワール凱旋門の感想を聞いてみたいと思う。

アトリエ・ブランクーシという作品

ブランクーシを初めて気に留めて観たのは大学に入ってすぐの時だった。
大学内にある美術館の舞台裏、所蔵作品の中であまりににもシンプルな金色のつるんとした塊が光り輝いていた。なんでもないのに異様な存在感を放つこれはなんだろうとその時は心に引っかかってはいたが、特に深く心に留めることもなく学生生活は過ぎていった。
それから6年後パリを訪れた時、あの鮮やかで現代的なポンピドゥセンターの広場の端っこに、ぽつんと静かに佇む平屋の中でまたあのブランクーシと出会った。
これが私にとってブランクーシと正面から対峙し始めるきっかけとなった。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190110222604j:image

そこはブランクーシのこだわりの空間、アトリエををそのまま動かしてきたギャラリーである。
自身のアトリエをフランスに寄贈すると決めた時、ブランクーシとフランス政府との間で交わされた『アトリエをそのままに再現する』という約束の通り、当時のアトリエの配置も拘りもそのままに今も見ることができる。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190110222632j:plain

彼の様にシンプルすぎる形態も、今であればそこに勝手に意味を見つけたり、タイトルひとつで何かを物語ったり、コンセプトと言われるような文章があれば人は夢中で美術鑑賞に入り込む。
ただブランクーシの若かった頃にはそれも難しい問題だった。
アメリカではこれは芸術作品として認められるのかという裁判まで起きている。
彼が作り出した芸術は一見あっけらかんと悩みのないすっきりとしたものに見えるが、当時の『美術』という考え方を変えるほどに人々がざわつく出来事だったのだ。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190110222627j:plain

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190110222639j:plain

そんな苦労もさっぱり見て取れないくらいに、このギャラリーはただただシンプルに美しい形の連続とその配置の絶妙なバランス感覚によって、心穏やかな空気を流し続ける。
彫像を飾る台座も作品とし、上と下の重要性を均等にした彼らしく、アトリエの空間すらも作品との上下関係を持たせなかった。
立体と空間の調和こそが彼の作品なのである。
美術館で見かける凛と佇む彫刻も間違いなくブランクーシだが、『調和』を重んじるこの空間は彼の最高傑作だと私は思う。
周りをも巻き込むような緊張感、計算し尽くされた関係性、物体の周りにこそ彼独特の拘りがみえてくる。
こんなにも贅沢な作品展示はないと思うのだが、入場料金が無料というのもすごい。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190110222616j:plain

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190110222607j:plain

ここでは、気持ちのいいパリの陽光の中で思い思いに佇む立体を眺めながら、止まったような時間を過ごす人々が多い。
中にはベンチに座ったままうたた寝をしている姿もある。
めまぐるしく活気付くパリの中心部でここだけはブランクーシがいたその日のままで、人々を出迎える。
少し手を休めて出かけたブランクーシの帰りを、そこに残る制作途中の道具たちと一緒に静かに待ち続けているような様子である。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20190110222612j:plain

屋根では大勢の鳩が日向ぼっこをしている

--------------------------------------------------------------------
Atelier Brancusi
Place Georges Pompidou, 75004 Paris, フランス
開館時間:14:00-18:00  火曜休館
入場無料



平面と空間を行き来する -サヴォア邸の不思議-

パリに何度も行きたくなる理由の1つ、イル・ド・フランス。
市内から少し出かけたあたり、パリの周りはまた見るべきものに囲まれている。
その中に、車や電車で20分くらいのところ、ル・コルビュジエの名作サヴォア邸がある。
日本でも上野にある西洋美術館本館を設計し、世界遺産に認定されたことで人気も知名度も高い建築家でもある彼の波に乗り出した頃の作品である。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20181208234817j:plain

サヴォア邸はその名の通り、サヴォア家の週末住宅として設計された。
サヴォア夫人の細かすぎる注文の中 ( 手紙の中でコンセントの位置や種類まで指定している )、ただ最高の環境と予算を持ってコルビュジエが挑んだ建築である。
また彼の提唱する「近代建築の5原則」( 1.ピロティー、2.屋上庭園、3.自由な立面、4.水平連続窓、5.自由な平面 ) を初めて全て実現し叶えたのも、ここサヴォア邸。
コルビュジエにとっても強い想いの残る作品なのだ。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20181208234820j:plain

f:id:shima-ad-studio-cojima:20181208234838j:plain

f:id:shima-ad-studio-cojima:20181208234807j:plain

私がここを訪れた時、きっとここには何時間もいたと思う。
そんなに大きいわけでもない建物なのだが、不思議と惑わされる方向感覚に同じところをぐるぐると歩き回った覚えがある。
コルビュジエの作品は記録も写真も多くある。ここに来る旅の前、気持ちを高めながらサヴォア邸の写真を何度も眺めた。
それはいい意味でとても平面的で、色面分割されたグラフィックの様に感じていた。
外観の四角いデザインからもシンプルな構成を想像していたのだが、体感は全く違く複雑なものだったことは驚きの1つだった。
少し足を進める度に切り取られる景色も、壁や柱の形も、先につながる新たな空間への期待も驚くほど急激に変化する。
写真からは全く読み取れなかったこの不思議な感覚は、いつでも鮮明に思い出すことができるほど印象的であった。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20181208234834j:plain

f:id:shima-ad-studio-cojima:20181208234831j:plain

それと同時にどこを切り取っても絵になるこの建築空間は、誰もが写真を撮ることに夢中になる。
周りを見れば皆、カメラを構え何度も何度もシャッタを押している。
それは観光地でみられる記念撮影とは違い、ただ純粋に自分の良い構図を探し楽しむ人が多いことにこの空間の芸術性の高さを改めて感じた。
写真で表現できなであろう体感の中で、矛盾も少し感じながら、カメラを通して切られる平面的な魅力にも夢中になっているのだから、本当に不思議な建築物である。
平面と空間、フレーミングと現実を行き来しながら、何が本当の感覚なのかがわからなくなるのも、なんだか夢の様で心地がいい。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20181208234811j:plain

とにかくサヴォア邸へ行きたいと少しでも思えてもらえたら嬉しい。
と言いながら、私もまた行きたい。と書きながらに想像を膨らましている。
今度は違うカメラを持って、スケッチブックもいいかもしれない。あの芸術作品と再び向き合うその機会が楽しみである。

コルビュジエの話はいくらでも尽きないのだが、来年2月に行われる展覧会に期待しながら、またその時に書けたらと思う。

サヴォワ邸/ル・コルビュジエ (ヘヴンリーハウス-20世紀名作住宅をめぐる旅 1)

中古価格
¥1,520から
(2018/12/9 00:04時点)

「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙」

日本での銅版画の位置付けは決して高いとは言えない。
作品としての値段で言えば、複製が可能な版画はもちろん世界中で低くはなるが、日本でのその歴史は比べ物にならないほど近年に入ってから確立されてきた。
と言いつつも、その後すぐにプリンティングの技術が発展し、版画とは絵画よりも安く印刷よりも高い微妙な位置付けになってしまった気もする。
今でも大学教育の中で『版画』というのは他の中に付属されることが多く、それ単体としての力はあまり強くない。
私が大学に勤めていた何年か前にも版画の工房は縮小され、銅版もリトグラフも姿を消していった。なかなか抗えなかったのを悔しく覚えている。

そんな日本の版画の世界にも見るべき作家は多くいる。
その一人が1900年代に活躍した駒井哲郎であり、現在横浜美術館でその作品多くを観ることができる。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20181202225940j:image

彼は銅版画の先駆者とも言われるだけあり、とにかく表現も知識の幅も広い。
それは研究者のようでもあり、到底一人の作家だけのものではないように感じた。
彼が56歳で亡くなっているとはつくづく思えない。 

特に晩年に行くほど技は熟練し、それを持って最高のものを更新し続けている印象であった。
こんなにも若く亡くなっていなかったら、一体どこまで上り詰めていたのだろう。

またこの展示は、彼に影響を与えた作家の作品も同じ空間で並ぶことも
見どころの1つである。
中でも私の気持ちを盛り上げたのはデューラーとクレーであった。
銅版画といえばこの2人無くしては始まらないほどのキーパーソンである。
(展示のサブタイトルにあるルドンもそうなのだが、今回は置いといて。。)

デューラーは銅版画表現の自他共に認める天才であった。
彼自身、自信家な性格も相まってその印象はより強いものとなって今に残るのだが、細密な線での描写力は今の時代にあっても飛び抜けていると思う。
版画以外でも彼の才能は開花しているが、版画の魅せる描いた痕跡から解くように見えてくる制作の技には何度でも釘付けになる。

それとは反対に版画では鳴かず飛ばずだったのがクレーである。
現在の日本での知名度であれば反対のようにも感じるが、クレーの名が知れるようになったのは色彩を知ってからである。
ただ売れなかった時代の版画作品はクレーの本質でもある。
人とは違ったそのセンスも、時代を感じさせない劣化のない感覚も足を止めざるを得ない光り輝く魅力がある。

駒井とこの二人には版画以外にも共通点がある。
クレーはチュニジアを旅し色彩と出会い、デューラーはイタリアを旅しその影響を生かし続けた。
そして駒井はフランスを旅して版画世界の大きな壁を見た。
それを乗り越え、より多くを吸収する力を持って、今日本に彼の作品がある。
それぞれ全く違う人生を生きただろうが、彼らは間違いなく旅したことで作品も人生も変わった。
旅は時として本当に大きな魔力になる。

f:id:shima-ad-studio-cojima:20181202225945j:plain

版画の展覧会は絵画や工芸品ほど人気の出るものでもない。
だからゆっくりと贅沢な鑑賞ができることは大変嬉しいのだが、今回はそれを諦めてでも多くの人に見てほしいものだと感じた。
複製品のため絵画とは違い値段も安い。
有名作家や過去の偉大な作家のものですら買えない値段ではないこともある。
昔祖父がヨーロッパでゴヤの銅版画を購入してきたことがあるが、ヨーロッパの古書店を覗けば宝探しのように見つけることもある。
最近はマティスリトグラフをお土産に頂いたが、ヨーロッパでは日本で感じるよりももっと身近に、生活に溶け込みやすい作品として版画を楽しんでいる。
私たちの暮らしと美術がもっと無理なく近づくために、版画は良いきっかけ作りをしてくれる。
yokohama.art.museum