《地図の旅:ROMA》オベリスク編 -Vol,2 始まりのオベリスク-

誰がローマに持ってき始めたのか。
誰がローマに建て始めたのか。
の、答えに一番ふさわしいのではと思うオベリスクがある。

それがポポロ門にある「①フラミニオ・オベリスク」である。

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地図上部に位置し、ローマの入口とも言われる門のある場所

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(Jens JungeによるPixabayからの画像)

実際のところ、ローマにある13のオベリスクは、持ってきた人と建てた人は大体がバラバラである。
ただ最も重要な、ローマに運ぶことを始めた人、今の再生されたローマに建てることを決めた人のどちらをも備えているのが、この「フラミニオ・オベリスク」なのだ。

では、それぞれの人物を紹介しよう。

 

まず持ってきた人。が古代ローマ帝国の最初の皇帝「皇帝アウグストゥスである。
ローマ帝国を作り上げ、西洋をローマのものとした彼が最初に持ってきたということは、自ずと「なぜローマに持ってきたのか」の答えは見えてくる。
そう、戦利品である。古代最大であったエジプトの大切なものをローマが奪うことで、自らの力の偉大さを見せつけたのだ。


そして建てた人。が「シクストゥス5世」である。
ローマ帝国が滅亡してから1200年ほど後。ローマ再生の肝となる、底辺からのし上がり教皇となった人物。
例えばパリの街を美しく整備し直したジョルジュ・オスマンのように、シクストゥス5世もローマの街を整備する基盤を作った人物といってもいいだろう。(在位が5年と短いため全ては叶えられなかったが)
その彼が目をつけたのがオベリスクであった。

ローマを再建するにあたり、地中からは古代ローマの遺跡が次々に発掘される。そしてその中にはエジプトから持ち帰った「オベリスク」も含まれていた。
そこでこの巨大な一枚岩を(発掘された時にはほとんどのものは折れてしまっているが)どうするのか考える。
1500年代。ローマといえば有数の巡礼地であった。
キリスト教徒たちのためその目印として、ローマを歩く道しるべとして、オベリスクたちを建てたのだ。
天に突き抜けるようなオベリスクを目指し、たどって歩けば巡礼が叶う。
グーグルマップのない時代に道に迷わないためのナイスアイデアである。

また太陽神のシンボルをキリスト教のシンボルへと変えることで、キリスト教が信仰の頂点であることも物語っている。
現に太陽神が宿るオベリスクの頂点に彼は十字架をつけた。


ここで、持ってきた時代と建てた時代に大きな開きがあるのは、ローマ帝国が一度滅びたからである。なので初めて建てたということでは、実はそれもアウグストゥスでもある。古代ローマ帝国に持ち帰り建てたとされる。
しかし、戦火の中に倒れ一度は地中に埋もれてしまった。
だから今私たちの目の前に聳えるオベルスクは、シクストゥス5世による設置の考え方がベースになっている、という意味で建て始めたとした。

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今回の地図には

アウグストゥスが運んだもの
シクストゥス5世が建てたもの

の目印をつけて見た。
※その他はグレーとする

彼ら二人によって、今ローマでオベリスクは存在できる。
もし皇帝シクストゥス5世が歴史に不勉強であれば、オベリスクの存在に目をやることはなかったかもしれない。アウグストゥスが運んだことも、それが何であったかも彼はよく知っていたから。

歴史を、過去を、知ることは未来を作る。
過去のものたちがどう生き残るのか、それは現在にかかっている。
ものとして、話として、記録として、記憶として。

フラミニオ・オベリスクはそのことよく教えてくれる。